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鎌田 實さんに聞く。

創刊3周年記念 ロングインタビュー

この人に聞く
鎌田 實さん

筆者が、鎌田先生に最初にお会いさせていただいたのは、今から2年前のクラブツーリズム(株)の「ドリームフェスティバル in 上諏訪」のツアーに参加した時だった。「ドリームフェスティバル」というのは、年2回、クラブツーリズムが主宰するバリアフリー旅行の大きなイベントだ。 そのツアーで、初めて鎌田先生を知り、講演を聴かせていただいた。そのときの衝撃は、今も忘れられない。バリアフリー旅行ということもあり、参加者は、皆 なんらかのハンディキャップを持った方と、そのご家族だ。
講演が進むにつれ、そこに集まった人々は、鎌田先生の話しと、自身の経験を重ね合わせていく。ひとつひとつの言葉が、心の琴線に触れてくる。いままでのハンディキャップを背負った人生で、抑えに抑え込んでいた感情が溢れ出してくる。全身の毛穴が開き、汗が一気に吹き出る。心の奥底に隠し続けてきた感情が一気に溢れ出る。涙が出る。嗚咽が聞こえてくる。号泣している人がいる。時に笑わせ時に泣かせ、講演は進んでいく。
それら感情の放出は、人を気持ちよくさせた。鎌田實の言葉は、感情のデトックス、「解毒」だった。(その一部は本誌2005年の2月号で掲載)
今回、熊谷にある日本で初めてのリタイアメントヴィレッジ「グリーンフォレストヴィレッジ」にて講演があると聞き、インタビューをさせていただいた。

鎌田 實

いま、もっとも多忙な医者の一人であることは、間違いない。諏訪中央病院名誉院長であり、チェルノブイリ連帯基金理事長、日本・イラク・メディカルーネット代表。お会いする10日前までは、イラクでの医療活動を行い、劣化ウラン弾の悲劇を伝える。
一方で、年に多くの講演を行い、「命」について語る。また著書も多い。
「医療とか看護とか介護とか。僕たち医者は、何のためにやっているかというと、その人がその人らしく生きるために、生きられるように、お世話させてもらっているんです」と語る鎌田先生からは、医者というよりも、むしろ「生き方のメンター」のような印象を感じさせる。

介護って、やっぱりツライ

今年6月に出版された書籍「鎌田實のしあわせ介護 苦しみを喜びに変える33のヒント」。その背景には、どんな思いがあったのでしょう。
「やっぱりね、介護っていうのはツライんです。介護する側も地獄だし、介護をうける側も大変。それでもね、逃げるわけにはいかない。元々長寿というのは、おめでたいことで、僕たち医者は、医学を通じて『長生き』ということに貢献してきた。医学の発展が、この長寿国を作ったんです。でもね、いま『長生き したくない』と思っている人が多くなってきている。ピンピンコロリが理想なんだけれども、『長生きをして、介護されたくない』と思う人が多くなってきている。こんな不幸なことはないんじゃないかな」
そう語る鎌田先生の言葉からは、地域医療を通じて長年地域の人と共に歩み、医療人のひとりとして、この国を世界一の長寿国とした、そして実現したあとの世界観への無念さを感じさせます。
「僕たちは、生まれて、そして成長して結婚して家族を作って。そしていつかは、歳をとって、どこかで人の介護を受けて、そしていつかは看取られていく。 でも結局家族というつながりのなかで、亡くなったひとを残された家族が忘れない。そういう大きな流れのなかで、僕たちは、今まで『命』を守ってきたし、受 け継いできたんです」
大家族から核家族へ。その社会環境の変化のなかで失われつつある家族との絆。確かに一昔前までは、そうやって命のバトンタッチをしてきた。
「そういう流れのなかで、介護というのは、ものすごく大事なことで、ここが不幸だったら人生がすごく不幸になってしまう。介護をする側だって、介護を通じて家族の絆が深まって、介護を通して『家族っていいなぁ』ということを感じて欲しい。思い続けて欲しい」

介護が教えてくれること

本来長寿という歳を重ねていくことは、すばらしい。にも関らず一方で「介護地獄」と言われてしまう。そんな不幸としか考えられない世界観を変えていきた い、いや「昔からこうやって命をつないできたことを、『忘れちまった命の紡ぎ方』を思い出そうぜ」というメッセージ。介護を通じて教えてくれる「いのちの大切さ」「家族の関係」。「長生きを喜べるようになって欲しい」と鎌田先生は熱く語りかける。
介護地獄とか介護難民とか、とても嫌な言葉ですよね。でもそれは残念なことなんだけれども、介護の現場の現実でもある。でもね、誰もが避けて通れないなかで、『介護地獄』が、『しあわせ介護』に変えていける方法がないかなと思って考えてみた。鎌田流の33のヒント。決してきれいごとではいかないけれど も、少しでも介護に苦労している方も、介護のプロも、介護することが楽しくなるように、誇りが持てるようになってくれたらうれしいし、介護を受けている人 も幸せを感じてくれる介護になってもらいたい、そう思っています」

グリーンフォレストヴィレッジにて。
この日の講演に200人が集まった。

3つのライフステージ

60歳を目前としてなお精力的に活動される鎌田先生。これからのことは、そしてご自身の最期は、どのようにお考えなのでしょうか。
「前々から、大きく3つのライフステージを作ろうと考えていたんです。まずは『地域医療』。これは、父と母の影響が大きかった。母は、体が弱かったか ら、母のような人を元気にしたかった。父には、随分医者になることを反対されたのだけれど、最後には折れてくれた。ただ、『弱い人とか困った人、貧乏な人 を大切にする医者になれ』というのが、父・岩次郎との約束だった」
地域の人が生まれてから死んでいくまで、共に歩んでいけるような医療。今では、二代続けて看取ることもあるそうだ。赴任当時の30年前は脳卒中の死亡率が全国2位だった長野県。今では長野県の老人医療費は、日本で一番安い。

「55歳ぐらいのとき、残りの自分のステージをどう生きようかと改めて考えてみた。10年ごとに、あと2つ出来ることがあるんじゃないかって。
それでまずこれからの10年を、海外の恵まれない人たちを支えようと思って、『海外医療支援』を始めました。子どものころ読んだシュバイツァーの本。彼 に憧れて医者を目指して、シュバイツァーのような、アフリカやアジアの恵まれない人のために仕事をしたかった。55歳からの10年。そう思って海外医療支援を始めたんです」
チェルノブイリ、イラクでの先生のご活躍は、言うに及ばない。
「で、65歳から。『老いの準備』というにはちょっと早いけれども、65歳からは、『家族と生きよう』って考えた。家族の絆を考えて暮らしていきたい」
精力的に活動している鎌田先生。その姿から、この日一番意外に思えた言葉だった。
「僕は、仕事人間で生きてきちゃったから、やっぱり最後は、家族を大事にしたいなと思っているんです。最期の仕上げとしてやっていきたいと思っている」そこにあるのは、家族への思いやりと感謝、家族へのホスピタリティだ。
「今まで全然駄目だったんだよね。でもね、やっぱり家族は大事だから、それを大事にしていきたい。誰だって満点で生活してきている人なんていないから、 いつだって取り返しはつくんだよね。遅すぎることなんてない。病院の院長を辞めさせてもらったのも、自分のやりたいこともあるけれど、『家族を大事にしたい』という強い思いがあったから。子どもたちも結婚してそれぞれ自立して行くんだけど、そういった過程のなかで、つながりながら、うまく家族の形を作って いきたい」

“支えあう”ということ

こう語る鎌田先生は、ご自身の最期のときを、こう本で書かれていました。
「僕が病気で倒れた とき、この人たちが僕の枕元にいるだろう。心の介護は家族の絆で守ってもらい、体の介護はプロのサービスでうまく支えてもらうつもりだ。家族がわかり合るまでには、時間がかかるものなのかもしれない。過ぎ去った時間を取り戻すことは出来ないが、過ぎ去った時間を振り返り、とらえなおすことはできる。介護 はその時間をたっぷり与えてくれる。(中略)ピンピンコロリと逝くのが理想かもしれない。だが、思い通りにいかないのも、人生なのだ。そのときは、介護さ れることを軽やかに受け入れたいなあと思う。難しいことだけれど、無理ではないはずだ。一つの命から、次の命へと、たいまつが次のたいまつに火を移すよう に、僕らは営々と命のバトンタッチを続けてきた。子どもや孫たちに、自分の老いと死の姿を見せることが、次の世代へのバトンとなる。その大仕事が、人生のフィナーレに待っている。上手な介護の受け手になって、僕らしい死に方を子や孫に見せてあげたい」
介護をしている人にとっても、介護を受けている人にとっても、支えあっているという実感。長生きしたくないなんて思わず、その人らしく介護を受け、その 人らしく死んで逝く。そんな姿を見せてやろうじゃないか。そんな鎌田流の生き方が、介護の世界を変えるのかもしれません。

夢をあきらめない

「楽しみを抱き、それを叶えられる力を持って欲しい。人生は楽しいほうがいい」
鎌田先生が、3年前から意識的に取り組んでいることがある。前述のクラブツーリズムとのバリアフリー旅行だ。
「春にハワイ、秋に僕の故郷の諏訪。年2回僕は高齢者や障害者たちと旅をしています。目の不自由な人、筋ジストロフィーの人、脳卒中で片麻痺のある人、 それぞれが事情を抱えながら参加してきます。最高齢は93歳、要介護5のおばあちゃん。『寝たきりだった自分が、ハワイの青い海と風に包まれているなんて。歳だから、要介護状態だからって、びくびくする必要なんてない』。旅が、おばあちゃんを変えた。
ハワイから帰ったおばあちゃんは、その後はホームヘルパーを雇って、京都や津和野にも出かけた。焼肉が食べたいと、韓国にも飛んでいった」(著書より抜粋)

自分はきっかけでいい

「『やったぁ』って思うよね。おばあちゃんすごい!って思うよね。僕は、慈善家でもなくて申し訳ないんだけれど、自分自身がこういう『やったぁ』という 気持ちを、みんなからもらってる。本当に申し訳ないんだけれど、自分が楽しませてもらっている。エキサイトさせてもらっている。こんな『やったぁ』が、いっぱいあればいいなと思う」
人生をあきらめず、夢を抱き、それを叶えようとする力。
旅をするために必要な機能の回復を目指して自分から体を動かす。それは結果として寝たきりを予防して、閉じこもりの予防にもなる。
鎌田先生が取り組んできたことには、ひとつのプロセスがあることがわかる。

『旅』もそのひとつ。

医者という仕事を、地域医療を通じて、その人の最期のひと時を『希望に満ちて看取ること』と位置づければ、『旅』は、その最期の瞬間の『少し前』までを、どうすれば楽しく過ごせるのかのヒントだ。
「旅はいい。景色・食べ物・人。その土地の空気を吸ったり、風に吹かれたり、そこの人と触れ合いがあったり。『夢を持って』とか『希望を持って』とか、 生きていくうえでとても重要なことなんだけれども、『希望を持て』なんて言われると、とてつもない大それたもののように感じてしまう。そんな大げさに考えなくったっていい。
『旅』には、誰もが感じられる『夢』があって、ハラハラであったり、ドキドキであったり、ウキウキであったり。出来るだけ、人生は楽しいほうがいいし、 そして、それは結構簡単に手に入る。旅を楽しむことで、人生に楽しみを見出して欲しい。医者が一緒に旅行に行くっていうだけで、安心でしょう? 僕は、 きっかけでいい。大事なことは、それをきっかけにして、その人が自分の旅を始めるということだから。いつまでもずっと僕はお世話はできないけれど、でも一 回のきっかけを与えることは出来る。あとはその人その人の自分の人生を生きていって貰えたらいいなと思っている。そうやって、生きていくことに前向きに なっていってくれたら、僕はメチャクチャうれしい。『やったぁ』って思う」顔をしわくちゃにしながら、鎌田先生は、うれしそうにそう語ってくれた。

鎌田 實(かまた・みのる)

profile
1948年、東京都生まれ。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県の諏訪中央病院にて、地域医療に携わる。のちに院長に就任。一貫して「住民と ともにつくる医療」を提案・実践。1991年、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を設立し、チェルノブイリの救護活動を開始。15年間に80回の医師団を派遣し、約6億円の医薬品をベラルーシ共和国の放射能汚染地帯の病院に支援。その活動により、1994年『信濃毎日新聞賞(国際医療協力)』を、 2000年『平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞』をそれぞれ受賞。ほかにも多数受賞。2004年からはイラクへの医療支援も開始。4つの小児病院へ毎月 薬を送り続け、2006年にはイラク国内の難民キャンプで診察。その間、国内でも各メディアで活躍を続ける。現在は諏訪中央病院名誉院長、チェルノブイリ連帯基金理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授。著書に『がんばらない』『あきらめない』ほか(以上 集英社)、『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)、『超ホスピタリティ』(PHP研究所)など多数。

夢をあきらめない

「楽しみを抱き、それを叶えられる力を持って欲しい。人生は楽しいほうがいい」
鎌田先生が、3年前から意識的に取り組んでいることがある。前述のクラブツーリズムとのバリアフリー旅行だ。
「春にハワイ、秋に僕の故郷の諏訪。年2回僕は高齢者や障害者たちと旅をしています。目の不自由な人、筋ジストロフィーの人、脳卒中で片麻痺のある人、 それぞれが事情を抱えながら参加してきます。最高齢は93歳、要介護5のおばあちゃん。『寝たきりだった自分が、ハワイの青い海と風に包まれているなん て。歳だから、要介護状態だからって、びくびくする必要なんてない』。旅が、おばあちゃんを変えた。
ハワイから帰ったおばあちゃんは、その後はホームヘルパーを雇って、京都や津和野にも出かけた。焼肉が食べたいと、韓国にも飛んでいった」(著書より抜粋)

自分はきっかけでいい

「『やったぁ』って思うよね。おばあちゃんすごい!って思うよね。僕は、慈善家でもなくて申し訳ないんだけれど、自分自身がこういう『やったぁ』という 気持ちを、みんなからもらってる。本当に申し訳ないんだけれど、自分が楽しませてもらっている。エキサイトさせてもらっている。こんな『やったぁ』が、 いっぱいあればいいなと思う」
人生をあきらめず、夢を抱き、それを叶えようとする力。
旅をするために必要な機能の回復を目指して自分から体を動かす。それは結果として寝たきりを予防して、閉じこもりの予防にもなる。
鎌田先生が取り組んできたことには、ひとつのプロセスがあることがわかる。
『旅』もそのひとつ。
医者という仕事を、地域医療を通じて、その人の最期のひと時を『希望に満ちて看取ること』と位置づければ、『旅』は、その最期の瞬間の『少し前』までを、どうすれば楽しく過ごせるのかのヒントだ。
「旅はいい。景色・食べ物・人。その土地の空気を吸ったり、風に吹かれたり、そこの人と触れ合いがあったり。『夢を持って』とか『希望を持って』とか、 生きていくうえでとても重要なことなんだけれども、『希望を持て』なんて言われると、とてつもない大それたもののように感じてしまう。そんな大げさに考え なくったっていい。
『旅』には、誰もが感じられる『夢』があって、ハラハラであったり、ドキドキであったり、ウキウキであったり。出来るだけ、人生は楽しいほうがいいし、 そして、それは結構簡単に手に入る。旅を楽しむことで、人生に楽しみを見出して欲しい。医者が一緒に旅行に行くっていうだけで、安心でしょう? 僕は、 きっかけでいい。大事なことは、それをきっかけにして、その人が自分の旅を始めるということだから。いつまでもずっと僕はお世話はできないけれど、でも一 回のきっかけを与えることは出来る。あとはその人その人の自分の人生を生きていって貰えたらいいなと思っている。そうやって、生きていくことに前向きに なっていってくれたら、僕はメチャクチャうれしい。『やったぁ』って思う」顔をしわくちゃにしながら、鎌田先生は、うれしそうにそう語ってくれた。

鎌田 實(かまた・みのる)

profile
1948年、東京都生まれ。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県の諏訪中央病院にて、地域医療に携わる。のちに院長に就任。一貫して「住民と ともにつくる医療」を提案・実践。1991年、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を設立し、チェルノブイリの救護活動を開始。15年間に80回の医師 団を派遣し、約6億円の医薬品をベラルーシ共和国の放射能汚染地帯の病院に支援。その活動により、1994年『信濃毎日新聞賞(国際医療協力)』を、 2000年『平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞』をそれぞれ受賞。ほかにも多数受賞。2004年からはイラクへの医療支援も開始。4つの小児病院へ毎月 薬を送り続け、2006年にはイラク国内の難民キャンプで診察。その間、国内でも各メディアで活躍を続ける。現在は諏訪中央病院名誉院長、チェルノブイリ 連帯基金理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授。著書に『がんばらない』『あきらめない』ほか(以上 集英社)、『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)、『超ホスピタリティ』(PHP研究所)など多数。

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